インタビュー2006

タブラの巨匠、オニンド・チャタルジー氏を招聘した コンサートを前に

 

 

Q 今回どうして、オニンド・チャタルジー氏を招聘してコンサートを開催しようと思ったのでしょうか?

 

 俺がやってきたのは、みんなが頑張る手伝い。それをしたいだけ。
 とりあえずオニンドが来て、たろうとか、杉本君とか佐野と一緒に演奏する。ちいちゃい夢より、大きな夢見た方がいい。思い出としてね、若いとき、インドのおじさんとレコーディングしたなーって、例えばごうくんが50年後ね、ホコリだらけの中からディスクを見つけて、あーこれあったな、あーくさい人たちいっぱいいたねー、その時代ねー、懐かしいとかそういう思い出になることもあるし、パーッとその道でいく気持ちになるかもしれないし、どっちもいいね。


 今回オニンド来るじゃない。これをどういうふうに受けとめるかは、個人の人生の話。
受けてもっと頑張りたい人がいる。俺も、これだけでおわりじゃない、これからもずっと頑張る。で、何かプラスがあったらいいじゃない。何もしないと、プラスにもならないマイナスにもならない。マイナスになっても、なんかあったじゃん。プラスになってもなんかあったじゃん。
オニンドも、心から応援してるしね、たろうたち。自分の国で、一生懸命若いときからこういう音楽やってるのがうれしいでしょ。この子たちとか、湯沢もね。ここまでやってくれると、うれしいじゃない、ね。


 他の人だったらこういう演奏にならない。たろうのCD聞いて。オニンド、後ろからちゃんとつかまえて、ちゃんと立たせて、はいっていう気持ちがある。オニンドだけじゃない。スタジオの人とか、レコーディングの後もタンモーイ(・ボース)がみんな言ってたらしい。タンモーイの家でたろうがホームコンサートしたでしょ。そのとき、だれもたろうにいいって言わない(笑)。ほらみて、バッチューダ(アミット氏の愛称バッチューに敬称がついた言い方)が日本でどういうことやってるって。オニンドもバッチューありがとうって。
 こういうレベルで、外国人が弾くと言うことがあまりない。もちろんカンサーブ(アリ・アクバル・カーン:サロードの巨匠)の生徒達もいいけど、この子たち、違う。ちょっと音が音痴になっても、張りがあるの(笑)。


 自分の好きな人に、いいものあげたほうがいいかなと。オレもいつもいいものもらってるからね。返すこともしないと。ものをもらってるんじゃない。たとえば今、この時間をもらってる。ごう君とオレ、二人で喋ったことほとんどない。いるだけで、話しなくてもいい。いるだけで、うれしい。宮島、喋りすぎても、うれしい。

 

Q バッチューさんはどんな子供で、何がきっかけで音楽をはじめたのでしょうか?

 

 ちっちゃいとき、一人でいるのがすごい好きだった。たとえば、お手洗い入ったら、1時間、2時間、ずーっとこういう風に、なんか考えてた。兄弟たち意地悪してね、「おまえ、哲学者か!」って。
たとえば屋上で、空がきれいだったら自分のお母さんに「お母さん、空きれいね」って言うじゃない。でもおかあさん「あっちいってなさい」って。それでひとりでね、大声で歌ってた。レコードとかラジオで覚えた歌。そしたら、いつの間にか夜なってたり。今も、近所の人たち、そのこというの。
 今考えたら、そのとき兄弟多いじゃない。7人。どっか寂しかったと思う。お父さんもお母さんも忙しいから。

 今、家が大きくなってるけど、昔今の半分くらいで1階を人に貸していたのね。その家族に一人お姉さんがいて、歌を習ってた。おれ、上の階で聴いてて、その歌をずっとまねしてた。女の人だったから、女の声で真似してた。たぶん、7歳とか8歳くらい。ずっとまねしていたら、その女の子の先生が「あの子を呼んで来い」って言って。「お前じゃなくてこの子に教える」って。行かなかったよ。恥ずかしかったから(笑)。 

 

 お母さんがシタールを習っていたのが、サントーシュ・ベナルジー。彼は僕の家族の先生。この間も家に来てた。夜ね、毎日一回、シタールの音で目が覚めるんだけど、そのときお父さんとお母さん、仲良く練習してる。毎日。一緒に、夜中の1時くらいに工房から帰ってきて、朝まで一緒に練習して。

 

 仕事は日曜日が休みだった。そのとき、ニキル・ベナルジーとか、ライス・カーンみんなうちに集まる。夕ご飯を一緒に食べたり。お茶飲んだり。

 そのとき、俺初めてシタール弾いた、サーレーガーマーって。お父さんうれしくってうれしくって、すっごい高い赤いカーペット、その部屋に買った(笑)。お姉ちゃんとお兄ちゃんが歌をして、ヒマンクシュがサロードしてボルン(2番目の兄)がタブラ。

 ボルンはいまでも、デレデレすごいよ。でもボルンはタブラはじめて、一日15~16時間練習しちゃって、肺から血が出る病気になって、やめちゃった。お医者さんが死んじゃうからって。

 

 俺、子供7人のなかで俺一番悪い子だった。でも、今でもお母さんが俺をスペシャルに思っていることがひとつあって、俺、小学校4年生5年生から、お父さんに毎日1時間くらいマッサージしていた。ニキル・ベナルジーの家行くまで、ずーっと、毎日。

 

 16のときは、働いている。16のとき、俺シタール作ってる。夜作業していると、ニシャッドとかイルシャッドとかシタールを受け取りに来て、できあがったシタールを店で試し弾きする。そんなに歳も違わないのに、自分は彼らみたいに速く弾けない。悔しくて悔しくて眠れなくて、毎晩毎晩寝ないで泣きながら練習してた。どうしてできない?どうして俺、あんなふうにできない?そのうちお母さんが部屋にやってくる。もうやめて。おまえ、寝ないと死んじゃうよっていう。それでもいい、あんなふうに弾けなかったら、もう死んだ方がマシ。ホントにそう思ってた。

 

 

※注釈その1

アミット氏の亡き父、ヒレン・ロイは、最高のシタールを作るシタール職人として名の知られた存在だった。今でも、ヒレン・ロイ&SONSのシタールは、多くのプロのシタール奏者に愛用されている。なお、現在アミット氏の演奏するシタールは、アミット氏自身が若いときに作ったシタールである。

 

※注釈その2
ヒマンクシュダーはバッチューさんの一番上のお兄さん。7~8年前?だったか、病気で亡くなりました。Hiren Roy & sons のお店は現在、次男のボルンダーが継いでます。
Nishad Khan と Irshad Khan は Ud. Imrat Khan の長男次男でシタールとスルバハール弾いてます。(→http://www.irshadkhan.net/

Q オニンド(アニンド)・チャタルジー氏のことを教えてください

 

 オニンドと俺、仲良くなったのは、俺が先生(ニキル・ベナルジー)のところにいって習いだしたとき。オニンドは毎週先生のところに練習に来ていた(このころアミット氏は、ニキル・ベナルジー氏の家に住み込み、音楽を学んでいた)。オニンドはオレより、4つか5つくらい年上かな。会ったとき二十歳くらい。

 先生(ニキル・ベナルジー)が外国で演奏することになって、誰かタブラプレイヤーを連れて行かないといけない。連れて行くとしたら、まじめな人がいい。お酒飲まない、悪い癖がない。タブラもうまい。誰がいいかな、と聞かれて「オニンドはどうですか」と言った。君たちが俺に「U-zhaanとやって」言うみたいに。で、一緒にヨーロッパ、アメリカまわって、そのあとインドでもやるようになった。10年くらいずっと一緒に。

 

 オニンドの名前、ニキル先生が作った。昔、パッチュー・ゴパール・チョットバッタエだった。これ、ものすごいド田舎の名前だった。で、ニキル先生が「いい名前作ろう、オニンドと言うのがいい名前だから、オニンド・チャタルジーにしよう」って。(ベンガル語ではAを「オ」と発音するので「オニンド」と発音しますが、通常はアニンド・チャタルジーと呼ばれます。)

 

 オニンドは、もちろん自分でも練習好きで、すごい。でもニキル・ベナルジーのおかげもある。それはオニンドもよく分かっている。
 この前オニンドと会ったとき、神様の写真があるところに、ニキル・ベナルジーの写真あった。どうして?と聞くと、「自分の人生作ってくれた人だから」って。ニキルダーがいなかったら、自分がいなかったから、と。

 

 日本のお客さんも耳があるからわかると思う。リズム感だけじゃなくて、すごい繊細。ザキールはいろんな音楽やってるから、日本でも知られているけど、オニンドのことはまだ誰も知らない。だから、オニンドを一回聞いてみてほしい。この人がどんな人とか。
 世界中にいろんなパーカッションがあるけど、タブラがその中で一番と、俺は信じている。そのタブラの世界で一番。普通のタブラ奏者ができないことやっちゃう、不可能なこと。もちろん早いけど、早くて、かっこよくやっちゃう、速さだけでは音楽じゃない、そのかっこよさとか、ディグニティとか、きれい。

 

Q ニキル・ベナルジー師について教えてください。

 

 いつもこれくらいの時間、夕方7時くらいから、先生のためにウパニシャッドとか、ヴェーダとか、たくさん本を読んだ。先生は目があまり見えなかったから。
 こういう本、読んでたらね、人間の心変わっちゃう。人生の目的とか、あなた誰とか、あなたのプライドとか。いくらオレがオレが言ってもどうなる、結果的にどうだ、それが何?ってなって、だんだん丸くなっちゃう。
 最後のほうの(ニキル・ベナルジーの)演奏聴いたらわかる。84年、85年の。その前も、すごいパワーあった。でも一番オレ好きだったのは、83年、4年、5年とか。すごいエモーショナルで、めちゃめちゃきれい。前もすごいきれいだった。でも(このころの演奏は)魂がある、と思っている。

 

注釈その3

バッチューさんとニキル先生は、毎朝毎晩2時間ずつ湖の回りを散歩してたそうです。
先生は目が悪いから、バッチューさんの腕につかまって。ゆっくりゆっくり。
その時、ほんとにいろいろな話をした、って言ってました。音楽のこと。人生のこと。いろんなこと。

 

 小さい頃、シシルコナ・チョウドリーとか好きだった。あとやっぱり、カーンサーブ(アリアクバル・カーン)。レコードでダルバリ聴いて、もう1週間ずっとそれが耳から離れなかった。わかる?そういうパワーあるよ。

 ヴィライヤットやライス・カーンも好きだった。ライス・カーンサーブ、カルカッタ来るとうちに泊まってた。泊まって、4階で練習するの。凄い音で。その時、家の回りに人集まった。集まって、みんな聴いてた。かっこいいでしょ?すごくて、かっこいい。かっこいいだけじゃなくて、behaviorがあるの。わかるでしょ?
 一番好きだったのはもちろんニキル先生の音だったけど、そういう音楽のエモーショナルな部分で一番強く影響を受けたのは、アリアクバル・カーンサーブだった。

 

 今ね、自分もすごい悩んでいるのが、インド音楽やる人が、みんなすごくスピード早く弾こう、かっこよく弾こうってなってる。自分の一番悩みが、そこがメインになると、音楽の魂のところがどれくらい中心にできるかなって。

 僕すごい早く走れるよー、という人もいれば、あなたのことが好き、って言う人もいて、意地悪する人もいて。音楽の中に全部出てくる。

 

 

注釈その4(by Taro)

バッチューさん演奏するのは圧倒的にラーガよりもラーギニー(ラーガの女性形)の方が多い訳だけども、そういう時いつも、音を抱きしめてる、音を大切にしてる、ものすごく慈しみ深く弾いてる。

バイラヴィしかり、ラゲシュリしかり、アヒーリーしかり、コウシキしかり。
ラーガに対して自分の自慢とか、自分を大きく見せようとかじゃなくって、正面から目を見つめて好きだよって言ってる。そういう音がする。ラーガの綺麗なところを、一番きれいに見せてあげようとしている。

それは、演奏よりもレッスンでさらに顕著に現れる。
先生からレッスンで習って、好きにならなかったラーガはひとつもない。みんな、そういう気持ちが入ってる。